職ありオタク

がんば

『家族』感想

 また山田洋次映画観てた。

 

 この映画は九州の家族が、島を離れて北海道の開拓をしにいく話で、島を離れて職を得る、という点で同監督『故郷』に似ている。そもそも勧めてくれた映画の師匠のようなひとからは、たびたびこのふたつの映画は並んで口に出ていたので、監督にもそう言った意図はあったのだろう。

 『故郷』は「職を得て島を離れるまでの話」で、工業など日本の近代化が社会から奪ったものを一家族の目線から描いていたように思う。それに対して『家族』は日本の近代化が「ひと」から奪ったものを描いていた気がした。『故郷』で師匠は「仕事の需要や仕事の辛さじゃなくて、人生の豊かな時間が近代化で奪われていく」ことに注目していた。それももちろん重要な要素だと思うが、『家族』と比較する際にはもう少し視点をずらさなければならないと、この映画を観て感じた。「人生の豊かな時間」というものが「温度」だとすると、徐々に社会から温度が奪われ冷たくなっている様子を『故郷』が、徐々にひとから温度が奪われ冷たくなっている様子を『家族』が描いているのだ。いわゆる「東京のひとは冷たいねえ」という文言を描いているのだが、しかしそれをきちんと説明しているのが偉い。説教臭い文句ではなく、状況の説明として「東京のひとは冷たいねえ」と言えるのだ。

 それに象徴されるのが東京の旅館の親父だろう。このひとはテレビに夢中で「赤ちゃんが病気のようで」と言われても「めんどくせえなあ」と文句を言いながらテレビを見つづけている。こう言った要素が大阪に出てきた途端に各所出続けるのだ。

 タクシーの運転手は父親の「救急病院に行けば医者はいますねえ」という問いかけにまったく答えない。医者もどこか突き放したような印象の話し方をする。ナースだってすぐ「あっちいってて」などの言葉遣いをする。

 それに感化されてか、ストレスからか、父親から徐々に温度を奪っていく。初めから父親はぶっきらぼうで言葉遣いが悪く……と、いわゆるステレオタイプの日本男児なのだが、自分の長女である赤ちゃんが死んでしまったときにはひどい言葉を思わず吐いてしまったりする。それを母と爺さんにとがめられて改心していくわけだが、それは東京に感化されたひとを田舎の温度で諌める図にもつながる。

 爺さんである笠智衆はつねに母親である民子を支え続けるのだが、それは地元長崎硫黄島のメタファで、北海道について新しい生活が始まったとたん割とすんなり死ぬ。途中、車内から富士山が見えるときに「みろ民子、富士山じゃ」と、疲れて眠る民子を興すのだが、民子はつかれているので適当に流して富士山をきちんと見ずに眠ってしまう。日本の昔からあるもの、そしてこれからもありつづけるであろうものを見逃してしまう。しかしここで民子はちらりと見ているが、父親は眠りこけて起きてすらいない。ここで、この映画の役割をきちんと示しているのだった。

 そして映像がきれい。『故郷』でも要所でキメていたのだが、この『家族』でもキメている。個人的に一番好きなのは、長女の遺骨を抱いたまま夜汽車で父親と出会った当初のころのことを思い返す民子。非常にきれいなシーンでした。

 台詞もいい。最後の「六月になったら春がきて……」というシーンなんかはやっぱり泣く。

 

 ま、こんくらいで。風呂入って飲みいきま~す。ビール!