『最強のふたり』感想
また感想。アマゾンプライム会員なのだけど、映画が無料で観られることを知らなかった。画質もわるくないし(時々通信の状況に左右されるけど)なかなかいいですね、ラインナップは何とも言えないけど。ただこの『最強のふたり』を観られたということで個人的には得したかな。
例によって監督などの紹介はしないしネタバレに容赦がない記事。
さて特筆すべきはやっぱりオープニングでしょう。頸椎やらかして首から下がうごかないフィリップとアフリカ系アメリカ人(黒人と表記して怒られたくないが過度に意識した表記にしたくないときってどう言えばいいの?)のドリスがいかついアルファロメオかなにかに乗って高速を飛ばしているシーンから始まる。以前『トウキョウソナタ』でも書いた気がするけど、オープニング・冒頭のシーンって象徴的なものにする映画っていうのは多くて、それは小説でもなんにでもみられるテクニック(表現手法?)ですね。まあ、この象徴的なシーンがかなり、よい。
オープニングだからまずどんな状況か判らないんだけど、このふたりが一緒の車に乗っているというだけで一見して「おかしい」と思うはず。ドリスは若い男でガタイがよく、服装がライダースジャケットにピアス、アルファロメオを運転している。フィリップは老人で無精ひげ、気怠そうな目で夜の高速のひかりをながめている。ドリスは車の多い高速にいらだち車を飛ばし始める。すると警察がくる。ここでふたりが。
「来た。逃げ切るに100ユーロ」
「乗った」
と会話。関係がなんとなく判ってくる。結局警察には止められてしまうのだが、フィリップの発作の演技で難を乗り切る。警察に先導してもらうことになって、それからドリスは社内で言う。
「音楽で祝おうぜ!」
流れるのはSeptemberだ。
Earth, Wind & Fire - September - YouTube
またこのときに簡単なスタッフロールがながれるのだけど、ここでドリスとフィリップが車内でノリノリになりながら運転している様子が観れる。この一連の流れで、ふたりの関係のすべてが判った気持ちになるのが、短編小説的で良い。このあと病院について、警察が去ったあと煙草を一服させてから、ふたりはまた別の場所で向かう。
また警察が「安全のための先導を」と言ったのを聞いて、ドリスは社内で笑いながらその言葉を繰り返し言う。これは日本語だと非常に判りにくいのだけど、フランス語だと韻を踏んだ言葉になる。これが実際に口にしていた台詞かは判らないが「Un chef de file en matière de sécurité」となる……はず。これを音声で読み上げさせてみると判るのだけど「chef de」「file en」「matière de」「sécurité」で韻を踏んでいる。弱強格とかになるのかな? それをドリスは面白がっている……つまり詩の教養があるということ。「安全のための先導を……安全のための先導を!」と笑いながらSeptemberを流しながら言うドリスの笑顔は非常に輝いていて、夜の高速にひかるどの車の灯りよりもまぶしい。
ちなみにこのシーンは。ドリスがフィリップの下で成長をして行き、のっぴきならぬ事情で別れたあと、フィリップの身体の不調を聞きつけ再開を果たした後のシーンだ。そんなシーンに流れる曲の歌詞が「Do you remember the 21st night of September?/Love was changing the minds of pretenders/While chasing the clouds away」…… 「覚えているかい?/9月21日の夜のことを/愛なんて関係なかった僕を君の愛が変えたのさ/雲なんてみんな追い払ってしまってね」。ここもストーリーにかかっていて、ドリスは粗雑な男なのだけど、フィリップと共にいることで変わっていくという流れがオープニングで示されているのだ。それに再会したときに歌う曲がこれっていうのも、合っているというか、なんというか。ダブルミーニングになっていてまさに「詩的」なシーンが「韻を踏んでいる」といった感じ。
まあ、映画自体は素晴らしくて他にもよいシーンはあるのだけど、ここが一番! 勧めてくれた後輩に感謝です。
ドリスははじめ抽象的な絵を見て「これが3万ユーロ!? 鼻血をこぼしたあとじゃねえか!」つってるのに途中から自分で絵を描きはじめたり、バッハとかを聞いて「なんか裸の女が走ってる感じ、笑いながらさ。やべえ」とか言い出して、感受性が豊かになりつつある様子をうつしているのがとても好きで、これは芸術には育ちも人種も関係ないよ! すばらしいものはすばらしい! と言い張っているシーンでもある。これは非常に好感が持てる。またドリスが「今日はフィリップの誕生日だ! 踊ろうぜ!」と言ってEarth Wind & The Fireを流して踊るシーンもあるのだけど、これは前述のシーンと同質的で相対的なシーンだ。フィリップの館のひとびともドリスと踊りだすのだ。つまりバッハやヴィヴァルディとディスコミュージックが同列に並べられ……時代も関係なく……つまりフィリップとドリスの年が離れていようがこころの交流にそれは関係のないことというのを打ち出しているように思えた。
なんともフランスらしいセンスだと思った。ドリスに対する黒人差別的な台詞が殆どないのもそうだし、ドリスが惚れてた女のひとがレズビアンだと判ったときに同性愛者を差別するようなセリフが出ないのも、フランス……というかヨーロッパの映画だからかもしれない。まあ、いまの時代どこの国の映画もそんな台詞言わせないだろうけどさ。