職ありオタク

がんば

『シティ・オブ・ゴッド』感想

例によってネタバレはしますが随分前の映画なので、まあいいでしょう。

個人的にものすごく好きな映画で、DVD買ってメイキングも観たので、それも含めた感想です。

 

  初めに観た時、物語の構造と演技力、演出、編集にやられ、人生の中でトップ3に入るだろう作品になった。それからは何度も観た。それくらい大好きな映画だ。

 役者のほとんどは無名の役者、あるいはオーディションで募集した素人らしく、その演技には6か月のワークショップによる稽古期間が当てられ、与えられた台詞の訓練よりは世界と役の刷り込みにおおきな時間をとったらしい。結果として映画のなかで行われる暴力・殺しやかなり繊細な感情、大きな怒り、大きな悲しみの説得力を生んでいる。恋人がレイプされた後の二枚目マネの表情や、ベネの送別会でのリトル・ゼの苛立ち→悲しみ、リトル・ゼたちに脅される子供の恐怖、初めて自ら人を殺してしまった子供の恐怖が画面を通してありありと伝わってくる。正直、ホントに足を撃ってるんじゃないかと思ってしまうようなシーンがある。子どもの小さな手の中にある拳銃の、大きさと重さが伝わってくる「等身大の身体の在り方」に感心する。同時に、観客の拳銃への恐怖をかきたてる。

 実話を基にした映画だということだが、原作にある「現実味」をどのように表現するか、という点をものすごく意識していることが判る。

 それと同時に、この映画は神話をつくり、世界を描こうとしていた。

 まず時系列で映画を並べ替えると、「心優しき三人組」→「リトル・ダイスの大頭」「ブスカペの青春」→「リトル・ゼと激化するギャングの戦争」→「リトル・ゼの死」となるわけだが、一番最初の「優しい三人」の話は明らかに神話として「神の街」にある。それは作中で「伝説となっている」と語られているだけではなく、この三人の歩む道が「仕事」「宗教」「ギャング」となり、その後仕事をしなくなったマヘクが死に、ギャングの道を歩んだカベレイラも死に、宗教の道を歩むことになった彼だけが生き残ったこともある。そして物語でガス車からガスと金を盗んだことからも、彼らが英雄として「神の街」にいることを示唆する。そのガス車も、最後にリトル・ダイスが警察に捕まる場所になっていて、三人組のことから始まった「神の街」の物語が終わる場所として選ばれている。もちろん、「神の街」という名前からも神話を意図していることが推察できるのだが、それ以上に「心優しき三人組」がこの物語を大きく支えていることが、久しぶりの視聴で分かった。

 その三人組の弟である二人……マヘクの弟・ブスカペとカベレイラの弟・リトル・ダイスがこの映画の主人公として描かれる。ブスカペとリトル・ダイスは交わりつつ離れて、まったく違う人生を歩んでいく。その塩梅がものすごく絶妙で、ブスカペとリトル・ダイスが童貞を失うタイミングや、童貞を失うということの背負った意味の重さの違い……物語の外と中で二人は等位置にいた。

 その距離感を物理的(そして具体的)に表していたのは、ベネの送別会のシーンだろう。コンプレックスによるイラつきで場を荒らすリトル・ゼ、DJブースから降りてカメラを受け取るブスカペ。ストロボライトが明滅する中凶刃に倒れるベネが、二人をつないでいたのだが、彼が死ぬと場にはリトル・ゼしかいなくなってしまったり、ベネがブスカペに渡したカメラが再び二人をつないだりする。またベネがブスカペに渡したカメラをリトル・ゼが奪う。その瞬間、ブスカペとリトル・ゼは初めて「直面」する。このシーンは不思議な緊迫感が視線の間に漂う。そのあとはすぐにまた、物語の中に戻っていくのだが、この一連の流れは混沌の中でうねっては首をもたげるダイナミズムがある。

 その後は二枚目マネがギャングの戦争に巻き込まれていくのだが、その一連の流れも素晴らしい。この映画全体に漂う雰囲気がそうなのだが、中上健二作品のような力強さと繊細さがある。マネの常識人としてのプライドが徐々に崩れていき、人を殺すことを厭わない状態になっていき、取り返しのつかないところまで行ってしまう。初めは抵抗しようのない外界からの暴力が、マネを暴力にいざなってしまう。その世界の危うさがマネに色濃く表れている。またマネが初めて一般人を殺す銀行強盗のシーンはカメラが明らかに世界の目として据えられている。マネを映し、撃たれた警備員を映し、セヌーラを映し、そして警備員の子供を映す……。印象的だが目を凝らさないと映るもの全てを見きれない、ハンディでの撮影が集中がとぎれることをゆるさない。その後、神へ祈ってからギャングを殺しに行くシーンで、祈りの声が銃声に消される感じや、マネの子供への説教に説得力がない感じなど、だんだんと闘いの激化が表れていく。

 最後のリトル・ゼとセヌーラのたたかいのところなんかは、妙に霊的な力がはたらいている。警察に捕まったリトル・ゼが、路地に連れ込まれ警察にわいろを要求される。ブスカペは「やらなきゃいけないことがある」と言って、走ってその路地に向かう。なぜ路地の場所が判ったかは説明されない。しかしブスカペにある種の霊的な勘が宿って、警察の汚職、リトル・ゼの死を撮影するに至る。この、重要なところで、理詰めの脚本作りをしないところに感心する。「神の街」では奇跡が起こるのだ。この時の撮影も、緊迫感があってものすごくいい。

 

 まあ、好きなところというとこんな感じなのだが、それ以上に言葉にしにくい何かがこの映画を包んでいる。それは構成の巧みさだったり、物語の面白さだったりするのだけど、結局は俳優の演技の上手さなのかもしれない。メイキングでの「リアルな演技」を引き出す周到な準備や、実際集中してそれに取り組んだ彼ら俳優陣の言葉が、とってもよかった。リトル・ゼは極悪非道の大悪党なのに、実際の俳優であるレアンドロはとても穏やかで、怒ることのない性格だという。また繊細な性格らしく、その点はとっても納得がいく。怒りを表すシーンなどはちょっと大変だったとメイキングで語られている。

 このようにして、贅沢な映画作りをされてるところに感心する。こういった映画に何度出会えるのだろうかと思うと、途方に暮れる。