職ありオタク

がんば

『自転車泥棒』感想

 なんか名作らしいし観てみよか! ポチィ~! みたいなノリでレンタルしてきたらまあキッツイ映画だったので死んだ。

 

  簡単に言うと貧困に陥った社会の円環構造みたいな話で、ようやく手に入れた職に自転車が必要なので、家のものを質に入れて自転車を取り戻したら秒でパクられて、職を手放すものかと必死で泥棒探しているうちに追い詰められて自分も泥棒になっちゃいました、という感じ。

 こういう感じで説明すると「いや~貧困って悪っすね~ちんぽォ~w」みたいなテンションで受け取るのだと思うけど、この映画はまあ名作とか呼ばれてるだけあって、最後に一家の父親が自転車を泥棒してしまったときの絶望感がすごい。

 まずこの映画は職安で仕事をもらうシーンから始まるのだけど、職安にひとが群がって「俺の仕事はないのか」と嘆いてるひとたちが沢山画面に詰まっているところとか、主人公が「すぐに自転車を用意はできません」というと「俺は自転車もってるぞ」と矢継ぎ早に手をあげたりする、職が欲しいがために必死な感じが、もう怖い。西成とか行ったら見れるんだろうかこの光景。

 それにこの時代の自転車って、今で言う原付とかバイクくらいのテンションらしく、全員持っててどこにでも売ってる感じではない。盗難自転車が闇市でばらされて闇市で売られている感じ。つまりは金になる感じらしい。そらパクるわな、自転車。重くないし乗ったら早く逃げれるし。しかもこの時代、自転車の鍵とかないっぽいし。

 それで念願の職を手に入れてからパクられて、結果仲間と闇市を探しに行くわけだが、まあ見つからない。そのあと教会へ逃げ込んだ泥棒の知り合いを追っていく。教会でしつこく「俺の自転車を盗んだ男はどこにいる」と尋ねるわけだが、結局見つからない。その後占い師に自転車の場所を聞くもやっぱり判らない。つまり「神様だって助けちゃくれない」ということだ。

 ここでわりと絶望的なテンションになりつつ、チャリパクられパパと子供はレストランに入る。子供は隣のテーブルの貴族の食べているものと、自分の食べているものを比べてしまい、チャリパクパパから「あんな生活おれたちには無理」と言い切られションボリ。貧困層ブルジョア層がきっちり別れていることが判る。つまり貧困からは抜け出せない。絶望。もう俺は死にたい。

 その後発見した泥棒も、病気もちだったり仲間がマイルドヤンキーだったりそもそもその泥棒の家も貧困していたりするのもあって、パパはあきらめムードで退散。

 そして行きついた広場にたくさんの自転車が停めてあるのをみて、また路地にチャリが放置されているのをみて、チャパ(自転車を盗まれてしまったパパ)は自転車泥棒を敢行してしまう。ここで貧困の円環構造が出来上がってしまう。悪によって貧困に落とされ、貧困に飲みこまれないためには悪に手を染めなければいけない。結果、それは失敗してしまう。わりと秒で捕まる。

 しかもこのパパ、子供の前で泥棒してしまい、子供は泣きながら「パパ! パパ!」と泣きながら、捕まって揉みくちゃにされるパパに駆け寄る。もうこのシーンが辛い。子供はパパが落したハットの汚れを落としながら、捕まったパパの傍にいようとする。それをみてチャリをパクられた恰幅よし夫(恰幅がいいおじさん)は「警察には突き出さない、子供が見てる」と許してくれる。

 解放された父親は、汚れてしまったハットをかぶり直し、子供と手を繋いで、人ごみの中へ消えてゆく。

   ~おわり~

 

 あのね、辛さしかない。救いがない。それでも生きていかなきゃならないパパも辛いが、結局迷惑被るのは子供なのだ。貧困は誰も幸せなんかにしないよ、という話。けれどもこれは正しい。「貧しいけれど家族がいればサイコー」なんてほとんど誰も思わない。金はあった方がいい。「家族がいれば」的な終わりにしないから、風刺になるんだろうし、また90分以内に収められたからすっきりと「あこれ名作だわ」と言えるんだろうと思う。

 あとやっぱりディティール凝ってる。子供たちが道行く大人にたかっていくカットがあって、これは所謂「靴磨き」的なやつだろう。そんな感じでところどころに「時代は貧困!」みたいなパーツがちりばめられてるので「ああ……現代日本……」みたいな気持ちになる。日本これからこんな感じになるのかなあ……ちょっと貧困とか職が安定しないみたいなテーマで『トウキョウソナタ』と繋がってしまった(テーマ全く違うけど)。

 ま、他に言うことがあるとすれば、途中に出てきた「サッカーのチームでどちらが勝つかな?」「イタリアのゲームが全て行われます……」みたいな会話やラジオ放送って、戦争のことだよね? 戦争で自国が勝てば……、貧困をどうにかするには戦争しか……、みたいな空気が街のどこかに潜んでいる。また革命を望むひとびとがいる。ちなみに公開されたのは1948年だから第二次世界大戦後。イタリアの映画だから、バッチリ敗戦国だ。これは「当時の空気」だけではなくて、監督が感じていた「第二次世界大戦前の空気」も盛り込まれているのかもしれない。戦争が終わった後のどうしようもなさ。そういえば、主人公が自転車を盗んでしまったのもサッカーの試合が終わり沢山のひとが会場から出てくる時だ。戦争が終わっても我々には救いなんてなかったのだと、そういうメッセージを無理やり感じ取ってみた。

 大学が始まったら先生とこの映画について語ろうと思う。また何か書くことが増えるかも。