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結果無職

がんば

書き終ること(追記)

 長編戯曲を書く、という課題が出た。とりあえず30Pという話だったので、30Pで完結させろ、ということだと思い込んでいたのだが、教授と話しているうちに、どうやら30Pは「とりあえずそこまでは到達しろ」というゴールではなく中継地点だったらしく、60P書くのが好ましいということだった。普通にしくじった。ここから構成を変えるとなると、説明チックな台詞が増えるか、あるいはワンシーン増やすことになりそうだった。まあそれもありかな、と思ったのだが、そもそも長編と言われているのに30Pのわけがない、と今気づきました。チンポやな~w

 しかし書きつづけていて不思議だと思ったことは、毎日いろんなことを考えて、感じて、あんなことを書こうこんなことを書きたいと考えているはずなのに、いざ書こうとその気になると、まったく手が動かないということだった。これはきっとダンスをしようと思ったけれどこれといった振りが思い浮かばない、という話にちかい。ダンスを教えている教授はTwitterで「身体を動かすほどの気持ち、言葉」について再考している旨を呟いていた。それと同じく僕ら文章を書くものは「文章を書かしめるほどの気持ち、言葉」を得なければきっと人を感動させられる文章を書けないし、自分もまた感動は出来ないだろう。日々勉強あるのみだし、また人生の経験などが必要になってくるのだなと切に思った。

 あとA4横に縦書きで書いてたので、二つ折りにすれば60P分あるわ。セーフ。

 

 今日は補講でワーニャ伯父さんの舞台の映像をチラっと見たのだが、教授が「現代日本でも過去ロシアでもないけど状況が『いま』」という演出をしていて、地味にすごいなと思った。ロシアの貴族、地主、という設定を失くして、別の言葉に置き換えることで、「お金持ち」「土地持ってる人」と判りやすくかみ砕かれており、そして本筋に全く影響をしない。昔の「日常」を切り取った戯曲でも上手く料理をすれば違和感や古臭さを無くせるものなのだなあ、と思った。

 演出というのはむずかしい。戯曲を読み解く力がなければダメだし、根気も無くてはいけない。演出をすることになったのだが、どうすればいいのだろう。

 ち

 

 なんでもないです。

 

 そういえばだしマスターさんとさかこさんとお酒を飲んだ。大変楽しかった。将来の事や現在のことを話して、芸術学科じゃないところはすげ~な~って思ったよ。だって映画みてたら単位取れる授業とかないんでしょ(?)

 あと僕がめっちゃテンション場違いだった気がするんですがいかがでしょうか。あの場でチンポって言ってたの僕だけだった気がするんですがチンppppッポオオオオオウ!!!!!!!!!!チンppppppッポオオオオオオオウウウ!!!!