結果無職

がんば

表現の多様性

 他の百合好きにこのブログ見られたら夜道襲われるんだろうなってことを書こうと思う。

 

 

 まず一つが、僕は町田ひらくという漫画家の大ファンであるということ。最高に面白い漫画を描く方なのだが、基本は少女が大人の男性に犯されるR18ものな漫画なので、Twitterではあまりそのことを話題に出さない。というか18歳になったのも最近だったし。

 今日、町田ひらく『Green-Out』を注文した。『黄泉のマチ』『たんぽぽのまつり』の2冊は持っている。この2冊がひどく好きで、時々読み返すのだ。もちろんR18指定なのだけど、正直エロいものを期待して読むものではないので、1つの面白い漫画として人に勧めたい。……が、まあ無理なことは判っている。百合好きの知人にはもちろん、百合好きというわけでもない知人にも勧められない代物だ。

 というか、本当にこの記事見られたら百合好き(特に過激派)に殺される。限定公開とかできませんかね。

 

 もう一つは、Twitterでの百合クラスタの動向と、タイトルのようなこと。百合好き過激派というのが少し苦手で、まあ他人に思想を押し付けないのならいいんだけれど、物語に男が出て来るだけで「男出す意味ないでしょ」みたいなことを言ったり、嫌な顔をしたりする人がいたりするのは、なんだかなあと思うのだ。

 男を出す意味が無いという人には登場人物が女である意味がその物語の上でどれだけあるんだ、という話になる。ジェンダーやセクシュアルに関する物語であれば「男」「女」という性別には必ず意味を持たされているだろうし、そうでなければ性別以外の部分が主題となっているので、性別は「彩り」程度の意味なのだ。もちろん「彩り」は大切であるが、調理される前の食材には存在しなかったものである。不必要だとはもちろん言わないが、アニメや漫画を見て「登場人物女性なのが良かった、名作」とか言われたら、作者によっちゃぶちぎれるんじゃないか? とも思うのだ。

 Twitterでも時々取りざたにされる「百合男子」問題とか「新参百合好き」問題とかも、クソ面倒なのでTwitterでは呟かないが、とりあえず文にしておこうと何となく書いてみている。

 アレはおそらく、漫画の多様性を許せない、という感性が起こす問題なのだなあ、とたびたび思う。性の多様性を現す虹を付けたアイコンの人が、上記のようなことを呟いていると、ふむ、と思ってしまう。

 確かにマナーもある。百合同人オンリーでヘテロものの同人ゲームを販売して不評を買ったサークルがあった。そこはマナーを守るべきであり、擁護するつもりはないが、しかしこのサークルのこのゲームを、百合同人オンリーではないイベントで販売した時に叩くべきではないのだ。

 ゆるゆりキャラ×モブ男の同人誌だって、百合同人イベントで売られたり、百合本であるというふれこみさえしていなければ叩くべきではないと思う(意図的にミスリードされてたらそりゃ怒るだろうけど、そんなのは悪意が無きゃやってないと思うので、悪意に対して怒ればいい)。

 僕も百合同人かと思ったらヘテロ/ふたなり同人という経験をして悪い気分になった経験はあるけど、しかしそれは(こんな本を描きやがって)ではなく(見誤った)(下調べすべきだった)という落胆である。(こんな本描きやがって)は、本来百合作品として売られていないのに咲-Saki-の百合話しか書いてない同人誌を2冊も出してしまった僕にだって向けられてもおかしくない言葉なのだ。しかもそのうち1冊には京太郎×ハギヨシのBL入ってるし。あれもいい気分しない人がいたはずなのだ。*1

 まあ、そういうことなのだ。漫画の多様性だってあるのだ。ただでさえ狭かった百合市場が広がりつつ進化しつつある現在、ファンが芽を摘むなぞ、あってはいけない。

 市場を生態系だとする。売れて面白い漫画に比べて、売れない漫画の方が多いのは当たり前だし、生態系と同じピラミッド状になると思う。ここの上位カーストを好む人間などが「下位の漫画は間違ってる」と剪定し続けたらどうだ、バランスは崩れ、きっと漫画はパターン化し、飽きられ、市場はやがて衰退し、求めても求めてもほしい物は手に入りにくくなってしまう。それどころかファンすらもいなくなり……。なんて事態はあるとは思えないが、しかし理屈の上では成り立ってしまう(と思う)のだ。可能性はある。

 市場は小さいのだ、という自覚が足りない。まあめちゃくちゃ小さいというわけではないが、百合作品を読んで「うわ」と思う人はまだ多数いると思うのだ。なんでも現実の問題に繋げるのは恥ずべきことで間違っているとは思うが、ここらの意識は現実のセクマイにもかかわってくるんじゃないかな? と思う。

 セクマイの人への法的/実生活的差別は未だ絶えないが、しかし漫画での理解が広がると嫌悪感とか差別の厳しさというものにも影響が出るのではないか、と思う。

 実際僕が大学のクラスメイトの前でバイセクシュアルであることを公言した際、ネタだと思われた。しかしその後僕の元に悪意のこめられた言葉は届いていない。おそらく現実感のなさだと思うのだけど、いわゆる「ホモネタ」である程度緩和されてるんじゃないかなあ、と希望的に見ているのだ*2

 10年前にBLというジャンルがどのあたりまで通じたのか、とか、考えたことがあるだろうか。まあ僕は9、10歳にしてギャグマンガ日和のBL二次創作が好きであったが、あの頃の10代腐女子の数といまの10代腐女子の数では、倍違うんじゃないかな、と思う*3

 漫画という若者も嗜む娯楽に「この世には色んな人がいる」という事実を載せて、そして「それは間違っていると思う?」と問いかけねばならない。真っ当な価値観を作り上げるのも漫画……だけではなく、表現の役割だと思う。小説だって音楽だって絵だって演劇だってその役割はになっているのだ。

 

 長々と判り辛いことを書いてしまったが、上記のことは「人には好き/嫌い」がある、というものがあるということを前提に(当たり前だけど)理解してほしい。

 表現物や環境などではどうしようもない「肌感覚」というものもあるから、それに合わないモノには触れないのが一番だ。しかし頭ごなしに否定するのは間違っている。モノとヒトが互いに反発し合うことなんてないはずなのだ。ヒトとヒトは反発し合うだろうけど。

 まあ、そんな感じだ。咲-Saki-新刊が楽しみだよな!

 

 背中から襲われないことを祈る。

 

 

 

*1:ちなみに告知の時点で、僕はすっかりそのBL話の存在を忘れていた。

*2:ちなみに「俺男もいけるけどね。お前ら範囲内だよ」と男たちに言い放った。大爆笑のあと「そういうのは冗談って言っとかんと」と注意されたので「ガチ笑」と返し、その後皆でカラオケに行った。数日後にはクラスメイトの数人に伝わっていた。今は皆に伝わっているとみていいし、先輩にもどこまで伝わっているか判らない。しかし少なくとも悪意のこめられたメッセージは届いていない。そこは良かったと思う。ちなみに何故言ったかというと、隠さずここで公言したら、俺の大学生活は4年間どんな感じになるんだろう、という好奇心に寄るものだ。数年前なら石でも投げられてたんじゃないかな。注釈長すぎキモ

*3:無根拠、肌感覚で言ってる